2008年03月18日

あのぶぶん

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おいのりの効果はあるのでしょうか、さて、、、


そういえば私は野球をほとんど見ないのですが
(キライなのではなく、テレビを見ないだけ)
一年くらい前に
「はて、そういえば野球選手のあの変な靴下みたいな部分が
いつのまにか無くなって、ただのズボンになっているね?」
という事に気づきました。
世間比でいうと、40倍くらい遅い気づきだと思います。

いったい何年前から、あのぶぶん、って無かったのかしら。


あのぶぶん、の名前がわからないので調べようがないのですが
あのぶぶん、っていうのは無くなるほどですからやっぱり
あんまり役に立つような意味のあるものでは、なかったのでしょうか?

わたしも昔から、あれをみるたび
「あのぶぶんは、なんのためにあんな風になってるんだろうか?」
と疑問におもって、もじもじしてたものです。

「あのぶぶん、いらなくないですか?」
と、最初に言った勇気のある人ってのが、やっぱりいる訳ですよね。
「お、おお、実は私も、いらないかも?って思っまして、、、」
と、ぞくぞく賛意が寄せられる光景が、なんとなく目にうかぶような。


当然「あのぶぶんをああしようと考えた最初の人」
っていうのもいる訳なのです。

機能的な面で根拠があってのこととは思いつつも
「まぁ、なんとなくよ、なんとなーく」
なんて答えが、その最初の人からかえってきたとしたら
私はすごく、すがすがしい気持ちで納得できるなぁ・・・
と、思いました。



ん・・・? 今気づいたけど
あのぶぶんは、単にズボンのなかにかくされるようになっただけで
いまだ健やかに生きのびているのでしょうか?もしかして?


野球のことを知らないと、こういうことがよく分かりません。

こまった、気になる。









 
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2008年03月06日

ライオンの毛のゲシュタルトなんとか


いそがしい、という言葉が他者の耳に心地よく響く場面というのは

ほとんど無いと思うのですが、申告&期末前のこの時期ばかりは

あのこもこのこもだれさんもかれさんも

いつもより少しバタバタしてるんでなかろうか

と思いはせつつ、机の前にすわっている日々です。



そして、そういう通常より少しそわそわとした時間にかぎって

わたしという人間はいつも、通常より少し「どうでもよいこと」を

もんもんもんもんと考えがちになります。



ここ数日のわたしのもんもん課題はといえば

「なんかライオンって、ライオンって、、、

顔のまわりに、毛、つけすぎなんじゃないのか、、、」

ということです。



なんだか数日前から

ライオンの毛が、ぜんぶ、顔のまわりから生えてるのだという事実に妙に囚われ

「360度びっちり顔から毛が生えてるなんて、、、下も上も横もぜんぶ、毛、、、」

と、一種のゲシュタルト崩壊と言ってよいと思うのですが

「なんなんだ、なんなんだ、ライオンの毛」

と、虚空に向かって拳をふり問う毎日を過ごしております。



あの毛故に、キング・オブ・ケモノ、のように言われるライオンなのですが

紐解けばそれは、顔から360度ぜんぶ毛を生やしている存在という訳で。



思考の次段階として、ライオンの顔毛(あえてそう言いたい)を

あのボリューム感のままに色々な位置に脳内で移動させてみたりしたところ

やはりあの毛が、顔周りにあるのでなくて

腹の周りなどでふっさふっさと風に揺れていたのだとしたら

ライオンはきっと、キングの称号を獲得するのにたいへん難儀したであろうと

そのように思われましたのでやはり、「位置って大事なのねぇ、うんうん」と

ひとりしずかに、つくづくと納得するのでありました。



■顔の360度ぜんぶから毛をはやしているライオンたち

http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3&lr=&um=1&sa=N&tab=wi

「顔から毛が」という考えをもってしてこれらの画像を見ると
どんなに威厳ある顔したライオンでも、どういう訳かどんどん
おかしな存在に見えてきてしまう。

ライオンの毛の事ばかりを思ったせいで
ライオンのゲシュタルト崩壊が私をぐいぐい襲う。



毛と言えば、以前「ヒゲ」についての素敵なポエムを書きました。

http://www.illust-jinjin.com/diary/060906.html


この毛、今だ健在で、何度成敗しても気づけばひょろりと生えております。

見習いたい強靱さ。

りっぱ、りっぱ。















 
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2008年02月01日

愛するとろとろ


夕食のために、山芋の中でも粘りの強い大和芋をすった。


ビョンビョンとのび縮みしながらダラリと垂れ
しまいにぼったり落ちたすり立てのとろろをとくとく眺める。
クリーム色にツヤめいて、ふわんふわんのどろり、もっちり、とろとろ。

あぁ、まったく、いやらしくも艶めかしくも美味そうなネバネバなのです。

とろろ芋の、この、いやらしくも艶めかしくとろけるようなネバふわ感。
もしもこの感触を、絵の中に忠実に現出させる事ができたとしたら
それはきっと必ず「いい絵」と言われるものになるはず。

絵が「いい絵」と言われる為には「視覚以上の感覚に訴える何か」がいる。
聴覚、触覚、嗅覚、味覚、痛覚、食感、温度、記憶、性欲、etc...


淡白くふわふわ盛り上がってふるえるとろろは
いかにもクリーミーに見えるので、もしや甘い味のするクリームちゃんか
という気すらしてくる。

泡立てた白いクリームをフォークですくえば、もっちりと引きずるが
しかし最後にサクリとそれは、母体と離される。

すりたての粘度の強い大和芋のとろろの場合は、一部を箸でつまんでも
今生への未練のように全体が離れずネバネバついてくる。

一体の固まりとして、ぐにゃりと持ち上がるとろろを、じっと見つめる。

クリームととろろはやっぱり違う。



ふと思ったのです。


でっかくて美味しそうなシュークリームにがぶりとかぶりついたところ、もし
中に入っているのが「たっぷりのすり立てとろろ」だったら、、、


うわーーーーうわーーーーうわーーーー



ものすごい裏切り、だわ。
ものすごい残念な感じ、だわ。



あれ、この「裏切りの残念な感じ」なら
他にも何か知ってた気がするなぁ・・・


例えば
洗濯機が「洗濯終わった、キレイになった」とピーピー鳴いて知らせるので
「やれ干すかいなぁ」とパカリとそのフタを開けた瞬間

ポケットに紙をつっこんだままのズボンを一緒に洗ってしまっており
全ての洗濯物という洗濯物に、無数の小さなモケモケが
びっちり、隙無く、無数に、モケモケが


うわぁーーーーーーーーーーーーーーー




似ている?

似てないか。











 
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2007年12月10日

冬空の星々に祈りを



電子文書が広く普及してる現在

年賀状という美習の先細りを危惧する声は多いですが

私がもっと、心配して、心配して、心配して

毎年どきどきしながら、固唾をのんでその動向を見守っているのは

年賀状と切っても切れない関係にある

「おもちのたべすぎにちゅういしてね」

という、あの一時代の年賀状界を席巻した、名文句の存亡ついてです。



この文章を書いてる間ですら、書き手と読み手の間にもしかしたら

埋めがたいジェネレーションギャップが生じているのではないか

という予感におののいています。



昨今の若者達はいったい年賀状に、いやこの際

ハッピーニューイヤーメールでもなんでもよいのですが

あの、こたつの上の蜜柑に次ぐ新年アイテム、と言ってよい

平和と安寧の匂いにまみれた名文名調子

「おもちのたべすぎにちゅういしてね」

を、きちんと継承しているでしょうか。



元旦からコンビニもデパートも開業している、という近年において

私達は、保存のきく特定の食料で三が日をしのがねばならない

という不安の呪縛、食の制約から解き放たれました。

しかし、その不安と不便の解消とひきかえに、今私達は

「おもちのたべすぎにちゅういしてね」

を、加速度的に失ってゆこうとしています。


あまりあると言ってよいほど選択肢が豊富な現在

「おもちのたべすぎ」に、キロキロと注意の目を向けねばならない

という全体の危機感は、稀薄になりつつあるのです。



2007年度の年賀状の中ではたしか、二通か三通

生存を確認した記憶があります。

2008年度は一体いくつの

「おもちのたべすぎにちゅういしてね」

と出会えることか、、、心配で今からハラハラしています。



どうか2008年も

「おもちのたべすぎにちゅういしてね」が

たとえほんの少しでも、生き残っていてくれますように。



小さくか細い一人の思いでしかありませんが

真心をこめつつ、頭を垂れ

冬空の星々に祈りを捧げたいと思います。






(短歌)

おもちばかりおもちばかりおもちばかり食べてしまって 雪の新年







 
posted by 草子 at 01:23 | TrackBack(0) | うそほんと

2007年11月30日

どこまでも納豆


「黒いくつ下」については、熱く語りたい事があるので、後日ゆっくり書きます。

くつ下について熱弁をふるいたい私です。



近頃、健康志向や食の安全への感心が、ブームというよりももはや

強迫観念のようになって、人々の心をゆすぶっております。


先日、スーパーで納豆を購入しようとした際、ある納豆には黒々した勘亭文字で

【 国産大豆100%使用!!】の文字。

また、ある納豆のパッケージには太い明朝文字で

【 有機栽培大豆100%!!】の文字。


前者の大豆には、農薬使用の有無については記載がありません。

後者の大豆は、農薬を使わず有機肥料で育てたとありますが

大豆の産地はアメリカ合衆国なり、となっております。


さぁ、どっち?

空の上の方から、そんな声が聞こえてきそうです。

人生は取捨択一の連続。




私は、アメリカ産有機大豆納豆の方を購入しました。


「基本的に薬剤を使用せず製造した納豆です。」

という、曖昧にふんわりしたことが書かれており、そこが気に入りました。

「キホン的には、ええ、キホン的には、使ってないんです、薬剤、えぇキホン、、」

という咳払いが聞こえてきそうと、想像の膨らむところがチャーミングですし

「基本のボーダーとはなんぞ?」と、しばし哲学に耽らせてもくれる

そんな納豆の方を愛することに決めたのでした。



そして、食の安全不安大国のようなこの日本国ですが

女性の平均寿命はにゅるにゅると延び続け、現在世界トップを爆走中です。

私は、地球の温暖化よりもむしろ、この

「にゅるにゅると伸び続ける日本国女性の平均寿命」

の方が心配であったりします。


際限なく、どこまでもどこまでも

ずーっとどこまでも、どこまでも

のびてゆきそうなのが

心配です。









 
posted by 草子 at 13:04 | TrackBack(0) | うそほんと

2007年11月05日

嘘もホントも不分明な足指の毛の爛漫



「嘘もホントも不分明となっているところがこのブログの魅力では
ありませんか。」


このようなお言葉をいただいたので、散文(ウソ)と短歌(ホントのウソ)
を、まぜこぜにおいておくことにします。


この世に「確かな事」というのは、いったい在るのでしょうか?
ほんとうに?

例えば今、私の足の親指には、指毛と思われるものが5本
ぴんぴんと生えておりますが、、、

これは、この五つのぴんぴんは、ほんとうに指毛だということは
きっと確かと、言ってよいのでしょうか?

私は思考という名のものとに
いつだって、目の前にある事実を疑ってみることを
やめないでいたいと思っています。


もしかしたらこの、五つのぴんぴんの指毛は
頭の毛が、体の内部をにょきにょき伝って
額も咽も、肺も胃も抜け、マタのところでちょっと顔を出してわだかまった後
二方向に分かれ、しゅるしゅるとふくらはぎまで伸びてきて
ついに、足の親指のところに、ぴんぴんぴんぴんと顔を出した!!

という「頭の毛のお尻の部分」的なる何かでありはすまいか??
と、疑ってみようと思うのです。


それと世の中には、足指に「毛」など存在しない
という爛漫な女が居るらしい、なんて幻想についても
率先して疑っていかねばならいと
使命にも似たものを感じ、情熱を燃やしております昨今です。








 
 
posted by 草子 at 19:12 | TrackBack(0) | うそほんと

2007年11月02日

じだんだを踏みたい人々



じだんだを踏みたいと思っている人の潜在的な数値は、想像以上に高い。


酒の席などで「じだんだ話」に花が咲く場面に遭遇した経験を
誰しも一つは持っているだろう。

酔いのまわった女共が、かん高い声で
「じだんだ踏んでる人って見たことないよねー」
「あたし、じだんだって踏んでみたーい!」
などと嬌声を発するのに出くわした事は幾度となくある。


そんなに踏みたければ、踏めばいいじゃないか、じだんだ。

こう見えても私は、じだんだを踏んだことがある。
というか、割とよく踏んでいる。

しかも、特筆すべきは
私のじだんだの踏み方は、すごくかわいらしい。

何をやらせても、その所作の一々がかわいらしい
と評判の私なのだけれど
中でもじだんだの踏み方ときたら、とりわけかわいらしく
飴の二・三もくれてやらずにおれないものがある。

この、かわいらしいじだんだ踏みを、衆人に見せつける機会が
どこかに無いものだろうか、というのが、目下思案の種。


エアギターだの、詩のボクシングだのもいいけれど
「全日本じだんだ踏みチャンピオンシップ」の開催を待ち望む
潜在的な声の熱気は、想像以上にあついものがあるはず。









 
posted by 草子 at 01:57 | TrackBack(0) | うそほんと

2007年10月30日

ウシ


ウシを観察したいと思っているのだけれど

よく考えたらウシって、動物園にはあまりいないな、とふと気づいた。


家畜だからがか?と考えてみたけれど、ヤギやヒツジは

動物園の「ふれあいコーナー」的スポットには必須の要素だ。

馬はどうだろう?と考えてみると

シマウマは別格として、サラブレッドはいないにしても(時にいる)

ポニーなら各動物園に1頭づつは居そうだ。



とりとめなく考えていると「ウシ」という動物の

動物としての立ち位置のあやうさに、そわそわしてくる。



食い物(ニク)になるからではないか?と思うも

ブタは言わずもがなの「ふれあい動物」であるし

鶏はその存在感の小ささから排除されて疑問はない。

(けれど時々チャボやウズラに紛れて「ふれあいスポット」をうろついてることも)



ウシは、そのどっしりした存在感の立派さや、形状の面白さをとれば

鹿や馬やの草食動物と比べて、別段遜色はないように思われる。

ツノだってあったりするし。


おまけに、ジャージーや和種の牛はともかくも

ホルスタイン牛なんかは、模様は白と黒のマダラだったりして

白黒カラーといえば、シマウマやパンダに代表されるように

見目にも愉快な動物園の人気者たりえるカラーパターンじゃないか。


だのにどうしてウシときたら「動物園にいらない」

というカテゴリに振りわけられちゃったんだろう?

そして、ウシが動物園の柵の中でしっぽをふる光景って

なんだかちょっとへんかもねと思う、その価値観は

確かに私達の体や心を、ほんのり、という感じで

侵食してたりする。



やっぱり考えるほどに「ウシ」という動物の立ち位置は微妙で

その微妙さに、そわそわ、そわそわ、してしまう。






ともかくウシをスケッチしに行きたいのだけれど

近郊だったら、どこに行けばいいんだろうか。









 
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2007年10月09日

人間の総数と、乾燥エビの総数はどっちが多いんでしょう?


中国で、党大会を目前にして人権派の人物が、次々と暴行を受けたり

行方不明になっている、というニュースがありましたが

いやはや、震撼とする記事です・・・



ところで

自分の結婚披露パーティに、1夜で6億円という金額を費やした人がおられますね。

多くは言うまい、と思うも

これだけは記しておきたいのですが・・・





6億円分の「ケッコンヒロウパーティ」と

6億円分の「カップヌードルの中のニセモノのお肉みたいなシカクイの」とは

物理的には等価ですよね。




・・・という事を、書かずには死ねない気がしたので書かせていただきます。






「カップヌードルの中のニセモノのお肉みたいなシカクイの」

を、もし、6億円分あつめたとしたら・・・

いったいどれくらいの量になるのでしょう。

(ヌードルは抜きにして、あの『シカクイの』だけを業者さんから売ってもらうのです)



それは、もしかしたら

「世界最大級のピラミッド」

が作れるくらいの量になりますでしょうか?

どうでしょう?




(直感的には、足りないような気がします)




 




 





 
posted by 草子 at 21:56| うそほんと

2007年09月29日

私はペペロンチーノをヤキソバみたいにモチモチにしか作れない


「オリーブオイル」と「エキストラバージンオリーブオイル」
の味の差など、1000%わからない。

「エキストラバージン」が何を意味しているのだか知らないし
調べようと考えた事もない。

私がペペロンチーノをつくると必ず
「むっちりニンニク塩ヤキソバ」にしかならないという事と
オリーブオイルがバージンなのか、バージンではないのか
という事との間に因果関係はない。

しかし、スーパーにゆくと
バージン娘の方が100〜150円ばかり価値をつり上げられている。

私は、目に見えない何物かに対する見栄によって
魚眼レンズのゆがみの中でゆあんゆあん揺れているようなスーパーの棚から
ふるえる手で「エキストラバージンオリーブオイル」を選びとる。

一体何なんだっていうんだ
あの、「オリーブオイル」と「エキストラバージンオリーブオイル」を
ぴっちり横に並べ、100〜150円程の値段格差をつけ
「オマエハ、ハタシテ、ドッチヲ、エラブノカ? ハタシテ、ハタシテ」
と、脅迫してくるかのような、あのスーパーの棚のたたずまいとは。


味の違いは1000%わからないし
私はペペロンチーノをヤキソバみたいにモチモチにしか作れない。





早朝
リサイクルゴミの回収日だったので
大量のペットボトルと、酒ビン酒カンなどを袋に詰め
がっちゃがっちゃバッコーン
回収ボックスの中にズババババーンッと棄ててきた。

ゴミを棄てるのは気持ちがよい。
生活のぐるりがさっぱりして、朝一番の活動としては最適だ。


朝湯をあびて、洗濯機をごうごう回して、軽く二度寝をした後
「さてと、『ザ・オシャレベーコンエッグ』でも作ろうかしらね」
と、フライパンにオリーブオイルの瓶を傾けると
ぽってり、ぽってり、と、二滴ほど落ちただけだった。

「そうそう、昨日買い足したエキストラバージンオリーブオイルがあったわね」
と、キッチンの床と足下の棚を探すが、どこにも無い。


寝起きだったとはいえ、はっきりと記憶にあるぞ。

確かにオイルの瓶は、昨夜開けた赤ワインの黒々した瓶とビール缶と一緒に
ゴミバコの横に並べてあったし
私はそれを、わっしりと掴んで、袋にバチコーンと詰め込んで
ガッチャガッチャといわせながら階段を降り
たまにゴキブリが這い出ることもある、汚れた廃瓶回収のプラボックスに
「よっこらせ〜、もひとつせ〜、おまけにせ〜」
と歌いながら、廃瓶を一本、一本、バッコシ、バッコシ棄てた。


わたしが棄てました。

わたしが、バッコシ、バッコシ、すてました。

確かに、バッコシ、すてました。




悔しさのあまり、思わず大阪の母親にメールしました。



>> オカアサン、ワタシ、

>> カッタバカリノオリーブオイルヲ、ケサ、

>> ハイヒンカイシュウニ

>> ステマシタ

>> ステテシマイマシタ

>> フウハ、アケテオリマセンデシタ

>> カナシイデス





母からは

「へぇ〜」


という返信が返ってきました。




 











 








posted by 草子 at 19:32| うそほんと